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更新会100周年記念切手の発行

2025年12月 5日 (金)

 更新会が設立されたのは、1926(大正15)年12月1日ですので、2025(令和7)年12月1日付けで更新会100周年記念切手を発行することといたしました。

 更新会(当時の名称は「帝國更新會」)の設立者は、検察官の宮城長五郎と教誨師の藤井恵照の両氏で、財政的に支えたのは大同電力会社社長の増田次郎で帝國更新会の副会長を務めました。

 このうち草創期の功労者の中で切手に取り上げたのは、宮城長五郎と藤井恵照としました。

 宮城長五郎は、司法省大臣官房保護課長、その後、東京地方裁判所検事正、長崎控訴院検事長、名古屋控訴院検事長を経て、1939(昭和14)年阿部内閣の司法大臣に就任。1942(昭和17)年に死去するまで会長を務めました。

 更新会が西早稲田の現在地にあるのは、ここに宮城長五郎の私邸があったからです。宮城は1945(昭和20)年3月の東京大空襲で焼けた本所区(現墨田区)千歳町にあった更新会の代替施設として、西早稲田の私邸を提供しました。

 帝國更新会創始者で初代常務理事の藤井恵照は、当時は東京監獄(後に市谷刑務所)の教誨師で帝國更新会のみならず両全会の設立にもかかわっています。1952(昭和27)年死去。著書に「死刑囚物語」等があります。

 切手で取り上げた3人目の人物は、元更新会顧問・元早大総長の西原春夫す。 西原は、1993(平成5)年に完成した早稲田大学西早稲田ビルディング(19号館)内に更新会を入居させることについて10年にわたる常任理事・総長の職を通じて貢献されました。2023(令和5)年1月、94歳で死去され、大学葬が営まれました。

 そのほか、元検事総長で元会長(後に理事長)を務めた神谷尚男が揮毫した更新会の石碑、ひまわりをデザインしたサンドブラスト(2階)、西早稲田の再開発時に発掘された土器を展示する埋蔵文化財展示場(1階)、早稲田大学西早稲田ビル(19号館)を切手の図案に取り入れました。

                    更生保護法人更新会 理事長 古畑 恒雄

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